
「会議で話されている内容と、ソースコードが全然違う」〜イオン発の“新ネットスーパー”リリース直前の1年間を語る|イオンネクストCTOインタビュー
2024/3/25
この記事に登場している人
この記事を読むとわかること
・樽石が感じた「日本のデジタル化遅れに対する責任と使命感」
・マネジメントと現場のギャップを克服するためにつくった「ソースコード中心の開発文化」
・DevOpsとTDDを駆使して走りきった立ち上げまでの1年を語る
2023年7月にサービスをローンチしたイオンのオンラインマーケット「Green Beans」。
千葉県誉田に最新のロボット技術を活用した最大5万品目を取り扱う巨大物流センターを立ち上げ、東京都と千葉、神奈川の一部の家庭に食品や日用品を配送する。2031年2月までに同事業が目指す売上高は4,000億円。
そのCTOである樽石将人氏は、期日までのローンチがあやぶまれた本サービスを予定通りに立ち上げた。
問題山積のプロジェクトを立て直した樽石が目を向けたのは「現場」だった。
【目次】
「日本のデジタル化が遅れた責任は我々にある」
樽石は幼少時からパソコンに親しみ、学生時代はLinuxカーネルや、Debian GNU/Linuxの開発に携わり、大学卒業後はRed Hat、VA Linux、Googleなどのオープンソース・ソフトウェアやグローバルなシステム開発に関わる環境に身を置き続けていた。まごうことなき「アルファギーク」だ。
そんな彼がRettyなど国内スタートアップでの活躍を経て、イオングループのDXを担うイオンネクストのCTOに着任したのは2022年3月のこと。その選択の理由の一つとして、樽石は「コロナ禍において、日本のデジタル活用度の低さを目の当たりにしたこと」を挙げる。
(日本におけるデジタル活用度の低さの)責任の一端は我々デジタル人材にあると思っています。みんなグローバルばかり志向して、国内のことには目もくれていなかった。その結果が今の状況だとすると、それは私たち(デジタル人材)の責任です。それをなんとかする使命があるのではないかと考えました。(樽石)

日本の伝統的な企業や行政などにも関わっていくべきだと考えていた折、ちょうど樽石に声がかかったのがイオンのCTO職だ。まさに日本の伝統的な企業であり、一部海外展開はしつつも基本的には日本国内を向いた事業。ユーザー層は老若男女多岐にわたる。しかし当初はタイミングが悪く、一旦は辞退したものの、その後も続く羽生副社長からの熱いラブコールにこたえる形で、2022年3月にイオンネクストCTOに着任することとなった。
彼のCTOとしてのミッションは、1年後、2023年上期にローンチされる予定の、同社初の倉庫出荷型オンラインマーケット「Green Beans」の立ち上げだった。
イオンは2019年末にイギリスのスーパーマーケット企業、Ocadoとパートナーシップ契約を締結し、次世代ネットスーパー開発に着手すると発表していた。千葉県千葉市誉田に延べ床面積約13,000坪の巨大倉庫を建設。ここにOcadoが開発する大型自動倉庫を設置し、ネットスーパーで受けた注文をピックして千葉県と東京都、神奈川県のエリアに向けて配送する。取り扱い品目数は最大5万品目と膨大だ。2031年2月までに目指す売上高は4,000億円。壮大な計画である。

会議で話されていることとコードが全然違っていた
しかし樽石がイオンネクストに参画したときの開発組織には課題が山積していた。
当時は倉庫を建てるのが優先事項で、ITは準備段階の状態でした。実際、ITの会議で開発進捗の解像度をあげるためにソースコードの閲覧を依頼すると、オフショアにて外部委託先が作業していることから、ソースコードを見るために3週間ほどかかり、開発に取り掛かるにも時間がかかる状況だったのです。(樽石)
やっとの思いでたどり着いたソースコードを読んでみたところ判明したのが「会議で話されている内容と、ソースコードが全然違っている」ということだった。
たとえば、会議では複数のサーバーレスファンクションのリリースプロセスを洗練させるため、Terraformを使ってIaC(Infrastructure as Code)を実践しているということになっていたが、ソースコードを見たところTerraformの不具合を回避するための魔法のPowerShellと、デプロイの途中に手作業で修正を行うという複雑なオペレーションが存在していた。コンテナを一個作れば動くようなシステムを無理にTerraformを使って複雑にしているように見えた(*)。要件定義にTerraformと書いてしまった事が原因だった。
(*)実際、このコードはローンチ後に約100行のPython 1ファイルに書き直している
当時を振り返り、「優秀なメンバーが揃っているにも関わらず、何をどうすればいいのかわからなくなってしまったというのが正直なところ」と樽石は苦笑する。
真っ先に学んだのは小売業の「言葉」だった
もう一つ樽石を苦しめたものが、小売業のドメイン知識だ。言葉の意味一つとってもわからないことだらけだったという。
最初はみんなが何を言っているのか全くわからなくて(苦笑)。
「MD」という言葉一つとっても、「マーチャンダイジング」「モバイルデバイス」「マスタデータ」と複数の意味がある。みんな「MD」「MD」と言っているのだけど、それぞれが違うことを指していて、その確認もしておらず、それぞれが文脈で理解している。(樽石)
ハイコンテクストすぎるコミュニケーションに度肝を抜かれた樽石。そこで、彼がまず行ったのは小売業の「勉強」だ。
まずはじめの1ヵ月ぐらいは、小売業の単語を勉強しました。そこから現場で行われていることと、会議で話されていることとの違いの理解に時間を割きました。
それでわかったのは、現場と会議のギャップが大きすぎるということ。現場の状態がわかる状態にしないといけないということでした。(樽石)
それを踏まえて行ったのが「一次情報にきちんと当たる開発組織のカルチャーづくり」だ。「ソースコードを中心とした開発文化」というスローガンを出して、会議ではソースコードを要求した。

DevOpsチーム立ち上げも、ローンチまで残されたのは「3ヵ月」
2022年3月当時、イオンネクストのIT部門は5名。PMが4名、開発者が1名。樽石は5名をマネージするCTOとしてのスタートだった。十数名の外部のベンダーもいたが、一次情報であるソースコードを見える化するため、手を動かして開発ができるエンジニアを2名採用した。採用チームは樽石が自ら立ち上げ、自分で採用を行った。
彼らに、どんどん現場に入って、どんどん作って、それを透明性をもってみんなが見られる状態にしてくださいとお願いして、組織を動かしていったんです。(樽石)
半年後には、10名程度のエンジニアとエンジニアリングマネージャー、副業エンジニアによる小さなDevOpsチームが出来上がっていた。樽石も自ら開発に参加し、陣頭指揮をした。約半年かけて、既存のシステムを理解し、再設計を行い、実装して8割程度の完成を目指すということに注力した。
ほとんどのものを作り直して8割程度完成したのが2023年3月のことだ。しかし本番ローンチは同6月。
8割できた時点で、本番ローンチまであと3ヵ月しかなかったんです。(樽石)
当時を振り返り樽石は再び苦笑する。
TDDを採用、実データを元にしてアジャイルな開発を進める
残されたわずかな時間で、誰も見たことがない巨大なシステムを仕上げなければならない。
そこで樽石が採用を決めたのがテスト駆動開発(TDD)だった。ここでのテストとは業務プロセスを含めた本番テスト。実際に商品を入荷してテストを行った。何度も「テスト→実装→リファクタリング」を繰り返し、プロダクトを完成に近づけていく。
8割程度は粗々で作って、残り2割を本番環境で実データを使って詰めていく。ど真ん中のアジャイル開発といえるかもしれません。(樽石)
例えば注文データは日中に蓄積されるので、それを処理するプログラムを夕方までに完成させる。粗々で作ったそのプログラムで注文データを夜間処理して、翌朝正常なデータができているかを確認する。毎日、それを繰り返した。
一つ一つ、「明日はこのテストがある」「明後日はこの本番のテストがある」という感じで、開発の準備をやって、ある程度設計しながら作る。夕方ぐらいからは実際のデータを見ながら実装して、次の日の作業に間に合わせるということを1ヵ月ぐらい続けました。(樽石)
2023年3月後半には商品の入荷システムを作り、まず1個だけ入荷のテストを行った。なんだかんだとトラブルを起こしつつも、それに合わせてシステムを作り、修正し、システム上入荷することができた。4月には出荷側のシステムを、後半には会計のシステムを…と、実データと実際の業務の流れに沿って、一つ一つのシステムを開発していった。
結果、2023年5月に社内販売、同月後半にはグループでの販売開始、6月にプレローンチで千葉市と大田区限定で一般のお客さまにも使っていただけるようになった。7月にグランドローンチを行い、一気に8自治体でサービスをスタート。2024年2月現在では20自治体で配送を行っている。

小さなDevOpsチームで、毎日毎日実データと格闘しながらアジャイルな開発を行う。スタートアップではよくみられる方法だが、そもそも投資金額が極めて膨大であるだけでなく、イオンではもちろん初めての取組みだった。しかも「誰も見たことがないものを、見様見真似で作っていく」必要があった今回のプロジェクトは、このように進めるのが最善だったといえよう。
開発手法自体はアグレッシブであるが、アーキテクチャに妥協はしなかった。
「イオンネクストプラットフォーム」と命名したGreen Beansのシステムは、「ソフトウェアで会社をデザインする」という基本コンセプトの下、サービスに必要なコンポーネントと会社経営に必要なコンポーネントの両者を巧みに疎結合で連携するマイクロ・カンパニー・アーキテクチャを考案し、実装した。将来、イオン全体のプラットフォームを担うだけの拡張性を考慮したものだという。
加えて2023年4月には開発体制を「ローンチHQ」、「Prod HQ」、「SRE」の3チーム制に大きく構造転換し、ローンチとローンチ後を見据えた取り組みを開始した。
実際、ローンチ後を見据えSREがはじめにやったことは、オンコールとポストモーテムの実践だ。早く失敗をし、自らを成長させていく習慣を作るためという。
オンコールは樽石がシャドーオンコールとしてすべての障害に関与し、チームを導いた。これが、ローンチ後もサービスを安定して稼働させることに繋がったという。
答えはすべて現場にある
樽石の発言の端々から感じられるのは「現場」に対する想いだ。エンジニアにとっての「現場」はソースコードである。そして同時に小売業の現場は「店」であり「商品が出荷されてお客さまに商品を届けるまで」の道のりでもある。
樽石は、月に1回は実際にお客さまのところに商品を届けるトラックに同乗して、課題を探す。それが一番理解度が深まるという。
現場に行かなければ何もわかりません。
イオンには「本社には答えがない、答えはすべて店舗にある」という哲学があります。リーダーは、本社の机に座っていないで、店に行けといいます。自分で率先して現場の課題を見つけて、どんどん動き、周りを巻き込むのが、一番物事が進みます。
今回のGreen Beansのプロジェクトにも、そのようなところがありました。
冒頭の、会議で話されていたことと、ソースコードの内容も全く違っていました。本社の机の前で、頭の中だけで設計しても、細部が思いっきりずれているようなことがあります。(樽石)

現場に入りこみながら、どのようなデジタルの道具があれば、業務負荷を軽減し、効率があがるのかを考える。配送業務であれば、配達エリアごとに課題は異なるし、デリバリークルーの性別や、IT機器への精通具合によって、最適な道具は変わってくる。
たとえば都心部であれば、タワーマンションは人口密度が高いため効率が良いように感じます。しかし実際には、どこに車を止めて、どう入館するのかという情報がないと、デリバリークルーが右往左往してしまい、むしろ非効率になってしまうんです。(樽石)
もちろん俯瞰的な思考プロセスも重要だ。
数理モデルを設計し、科学的な意思決定も忘れない。例えば、Green Beansのエリア拡大にあたっては、「樽石数理モデル」を開発し、エリア拡大の根拠を数学的に算出した。

このような多岐にわたる視点をもとに、新商品の企画があればコンセプト作りから関わり、システムをどう組み上げればお客さまの元にそのよさをしっかりとお届けできるか、商品部と一緒に考える。配送、物流、etc…。さまざまな会議にメインで入って意思決定をリードする。

ITは業務の半分程度、残りの半分は事業グロースの仕事です。Green Beansのお客さまが今何名なのか、どうやって2倍のお客さまにご利用いただくのか、みたいなことを考えています。(樽石)
事実、Green Beansのシステムが乗っているイオンネクストプラットフォームでは、2024年の目標として販促費の効率を33%から66%に、バスケット単価(※)を56%から73%に、配送効率を44%から74%に引きあげることを明言している。事業のKPIにも責任を負おうと考えるCTOはそう多くはない。
※1回あたりの買物で購入する金額のこと

WhyとWhatとHow。全部繋げられる人を育てたい
KPIにこだわるのは、樽石の「スタートアップは、技術だけでは生き残れない」という考え方に起因している。
価値を作り、収益を上げて、企業として継続できる形でないと、どんなによいものを作っても、すぐに資金が枯渇してしまいます。CTOは技術だけではなく、その先にある事業とビジョンのことまで考えるべきで、要は起業家なんだということに、最近気づきました。(樽石)
デジタル技術で世の中の課題を解決するためには、「デジタルの現場」がわかる人が事業を牽引する必要がある。エンジニア経験のあるCTOが、経営判断を行い、事業を牽引しなければ、DX経営は暗礁に乗り上げてしまうだろう。
樽石は、イオンネクストのエンジニアには、アントレプレナーになってもらいたいともいう。
世の中の課題がある。それを解決するためにテクノロジーをどう使うのか。どのテクノロジーを使うのか、そして、どうやって社会実装するのか。WhyとWhatとHowを全部繋げられる人。そして、そういうことがやりたい人。できるようになりたい人に、ぜひネクストに来てもらえればいいと思っています。(樽石)
ちなみに、樽石自身は、何かを自らの手で作り、それでよい反応をもらえるのが好きだと語る。
自分が好きなことで、他の誰かにとっての価値を生み、好きなことを続けられるというポジティブなループが作れるといい。あっちこっちに行って、遊びながら作るみたいなのが面白いんです。(樽石)

技術に遊びながら、人と社会に貢献する。
一技術者としてだけでなく、経営視点で新しいビジネスに積極的にかかわっていく。そんな志向のあるエンジニアにとって、イオンネクストはこの上なく魅力的なプレイグラウンドだ。
イオングループのプラットフォームになる未来
Green Beansについては、今後メディア機能を拡充し、会計サービスの構築などを進め、2026年にはプラットフォームとして確立したいと考えている。
そもそもイオンネクストは「Green Beans」事業を一つの軸に据えつつ、同時にイオン全体のDXの推進もその役割に掲げている。Green Beans運営のために立ち上げた「イオンネクストプラットフォーム」は、グループ企業各社が利用する前提で構築され、それに耐えられるだけの拡張性も備えた。
実はGreen Beansも、このプラットフォーム上で動く1つの店舗に過ぎず、今後グループ企業各社がこのプラットフォーム上に、さまざまな事業を立ち上げる未来を描く。商品の販売など表側の仕組みだけでなく、メーカーや卸売業と情報をやりとりするサプライチェーンや、会計などの裏側の仕組みも、このプラットフォームを通じてグループ各社が利用することができるような構造だ。

保険や銀行など、ライフスタイルに関するサービスもこのプラットフォームから提供できるのではないだろうかと検討を進めている。
グループ企業さんが何か新しく事業をはじめようと考えた際、新規にシステム開発をする必要はなく、全てイオンネクストプラットフォームがマネージドサービスとして提供します。「やろう」と言ったらすぐに新規事業をスタートできるレベルのシステムに持っていきたいです。
いわゆるSaaSですね。イオンネクストはイオンを牽引する存在を目指していますし、そもそもでいうとイオンネクストはイオンのネクスト(=次)ではないとも考えています。日本のネクストや世界のネクストを創っていく存在にしたいです。(樽石)
イオングループ全体のプラットフォームとして、イオンネクストが今後果たす役割はとてつもなく大きく、小売業全体、ひいては社会全体に対する影響度も計り知れない。
イオンネクストではエンジニアを中心としたデジタル人材の採用を積極的に行っています。樽石と話をしてみたい、Green Beansの事業が気になる…といった方は、カジュアル面談も実施しておりますので、ぜひお気軽にご連絡ください。
※掲載している所属・役職・肩書きおよび各種情報は、記事公開時点のものです。
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