
この記事に登場している人
前多 竜也
Tatsuya Maeda
イオンフィナンシャルサービス株式会社 システム本部 システム開発2部 統括マネージャー
新卒でソフトウェア商社にてSEに従事。その後、アメリカの大学(UCLA)へ留学し、帰国後はマーケティング・広告代理店の会社を経て、2012年4月よりイオンクレジットサービス株式会社(現イオンフィナンシャルサービス株式会社)に入社。2015年よりイオンウォレットアプリの立ち上げに参画し、現在はアプリ開発リーダーとしてUI/UXの改善や新サービス開発に取り組んでいる。
この記事を読むとわかること
・後発アプリはどうやって差別化すればいいのか
・アイデアを実現する技術をどう選ぶか
・大規模プロジェクトにおける合意形成プロセス
アプリのリニューアルで、まったく面影を残さずに作り直す――。そんな大胆な決断を下したのは、イオンフィナンシャルサービス株式会社の「イオンウォレット」の開発チームだ。
2023年9月に、およそ7年間使われ続けたイオンウォレットの完全刷新を決定。従来のイオンカード中心の設計から、保険や銀行を含む総合金融アプリへと進化するため、UI/UXや会員基盤を全面的に刷新した。
MAU(月間アクティブユーザー)は100万人以上増加し、海外のデザイン賞を5つ受賞するなど、取り組みは大きな成果を上げている。プロジェクトを牽引した前多氏に、挑戦の全貌を聞いた。
【目次】
なぜ面影ゼロのリニューアルを決断したのか
2016年にリリースされたイオンウォレットは、多くのユーザーに利用されてきた。しかし、2023年9月のリニューアルで、開発チームは一つの大胆な決断を下す。それが、「今までのアプリの面影を何一つ残さないリニューアル」をすること。すべての画面をゼロから再設計するという、アプリ業界でも珍しい全面刷新に踏み切った。
カード中心から総合金融アプリへの転換
背景には、イオングループの金融戦略がある。2016年のリリース当時のアプリは、イオンカードを中心としたサービス設計になっていた。2022年10月にはAEON Payを搭載したものの、まだアプリの中心はイオンカード。
イオンウォレットの開発を率いた前多は、「決済もメインになり得るアプリにし、さらに保険や銀行といったグループの金融サービスにもスムーズにアクセスできる総合金融アプリとしてのサービス提供が必要となってきていました」と振り返る。
▼以前のアプリ画面
以前のアプリには、もう一つの課題があった。営業側から「こういった販促も入れてほしい」「あんな機能も入れてほしい」といった要望に応え続けた結果、スクロール形式のトップ画面は、あれもこれも詰め込まれたカオスな形になっていたのだ。
勝つためのリニューアル方針
一般的にアプリのリニューアルと言えば、「面影を残したまま少しずつ新しいものに変えていく」のが定石。しかし今回は「ゼロからすべての画面を再設計する」という大胆な方針を打ち出した。この決断について前多は、「新しい方針でアプリを生み出すなら、デザインもすべてガラッと変えるべきだという上席の考えがあり、我々のチームとしても、新しいものをゼロから作り出したいという意向で一致しました」と説明する。
ここでポイントになるのは、競合をクレジットカードアプリではなく、決済アプリ全般と位置づけたことだ。
すでに競合のPayアプリの多くがあり、どれも似たような設計になっている中、同じものを出しても後発なので埋もれてしまいます。業界で一番を目指すなら、まずはデザインから大きく差別化を図る必要があると考えました。(前多)
そうして決まったのが「できるだけ画面はシンプルに、置いている情報もシンプルに」すること。競合アプリ利用者へのアンケート調査でも、「画面の中に機能が何十もあっても、実際に使っているのは3~4つ」という結果が出たこともシンプル路線を後押しした。
開発の舞台裏①刷新を支えた4つの技術的チャレンジ
従来の延命的な改修ではなく、まったく新しいものを作ることから、技術的にも思い切った判断が必要だった。主に4つの特徴的なアプローチを採用している。
縦スクロールという斬新な「UI設計」
今回のリニューアルで特徴的なのが、縦スクロールでホーム画面を3つに分けて切り替える新しいUIだ。グローバルメニューを廃止し、代わりにホーム画面の下部に丸いメニューボタンを設置。そこからすべての画面に2タップ以内でアクセスできる設計にしている。この設計に至った理由を「お客さまが欲しい情報に最短でたどり着けることを最優先に考えた結果です」と前多は言う。
しかし、新しいやり方にはリスクもある。チーム内でも「縦スクロールはそれほど受け入れられないのではないか」という懸念があった。そこで1,400人規模のユーザーアンケートを実施。さらに20代から60代のユーザーに実際にプロトタイプを触ってもらうユーザーテストも行った。
すると支持されたのはグローバルメニューより、スクロールするデザイン。スクロールを縦にするか横にするかで意見が分かれたものの、「この結果は我々にとっても驚きでした」と前多。
さらに、ユーザーによって何を重視するかが異なるため、一律のUIではなく、使い方に合わせてホーム画面を最適化できるようにした。たとえば、クーポンをよく使う人はクーポン画面を、決済をよく使う人は決済画面を、請求金額を確認したい人は請求画面をホームに設定できるようになっている。また、壁紙も好みのものを設定できる。
シンプルさとカスタマイズ性を両立したこの設計思想は外部からの評価も高く、2024年には海外のデザイン賞を5つ受賞している。
ワクワクを技術で支える「アニメーション」
リニューアルではシンプルさを追求しながらも、遊び心を入れることにもこだわった。プロジェクト内ではこれをひそかに「ワクワクインタラクション」と呼び、触って楽しいと感じられる表現を目指した。
「初期構想では請求金額に稲妻が走るなど、ぶっ飛んだアイデアも出ました。みんなで考えるのは楽しかったです」と前多は笑う。
しかし、こうしたアイデアは実装のハードルが高く、開発のネックになっていた。たとえばアニメーションをプログラムで表現しようとすると、開発に時間がかかる上に、処理性能を消費してしまう。加えて、スペックが低い端末では狙ったアニメーションが表現できない可能性もあった。
開発時間は限られていたが、妥協はしたくなかった。開発チームやデザイン会社と一体となって話し合い、検討した末に、たどり着いたのがLottieという動画を扱えるファイル形式。これにより端末スペックに依存しないアニメーションを実現できた。
実装されたアニメーションは、請求画面でお知らせ確認が左から出てくる動きや、画面の立体的な切り替えなど。「お客さまがあまり気づかないところにも細かい仕掛けを施しました」と前多は楽しそうに話す。
2秒以内の起動を目指した「パフォーマンス」
決済アプリにとって起動速度は競争力を左右する重要な要素だ。新アプリでは「2秒以内」という明確な目標を設定した。
なぜ2秒なのか。「以前のアプリは立ち上げまでに速くて7~8秒。決済アプリはレジの前で使うことを考えると、バーコード表示までの速度をいかに早くするかが勝負です」と前多。レジの前で起動する決済アプリにとってスピードは最優先事項。決済時にストレスがないことは利用のリピートにもつながる。
スピード向上のために、初期処理とバーコード表示にかかるすべての処理を徹底的に見直した。
初期処理で約20、バーコード表示まで10以上の処理がありました。これらを同期と非同期のどちらにするかを仕分けて最適化。不要な処理を削除してシーケンスを再構成し、一気に短縮化しました。(前多)
開発終盤の数カ月は、速度向上に集中したという。その甲斐あって、最終的に目標の2秒を無事達成した。
使いやすさを考慮した「基盤再設計」
バックエンドの開発で最も複雑だったのは、イオンカードを持たないユーザーでも利用できる会員基盤の構築だった。従来の会員機能は、イオンカード所有を前提に構築されており、イオンカードを持たない利用者に対応するには仕組みの見直しが必要だった。
新規で全部作れば楽ですが、既存のシステムの中にカードを使わないユーザーという新たな存在を作る形にしたため、既存の基盤との整合性を考慮するのが大変でした。(前多)
特に複雑だったのは、カードレス会員がいずれイオンカードを持った時に、既存のカード会員と同じ条件になるような設計。整合性を保つための設計には時間をかけたという。既存システムとの共存という制約の中で、新しい価値を生み出すのは、大きな技術的挑戦だった。
開発の舞台裏②組織とプロセスの挑戦
こうした技術的チャレンジのほかに、プロジェクトを動かす人やプロセスの面でも新たな挑戦があった。
初のアジャイル開発を実施
今回のプロジェクトでは、社内初となる完全アジャイル開発を採用している。フロントエンドに関しては社内外メンバーを含めて40数名規模に上り、3チーム体制で2週間単位のスプリントを繰り返した。
新しい開発手法を採用した理由について、「昨今アプリ開発はアジャイルが一般的。時間が限られている中、リニューアルを実現するにはアジャイル一択でした」と前多は言う。
初めてのアジャイル開発で最大の課題になったのは、開発スピードへの適応だった。「要件定義からプロトタイプ検証までを2週間というアジャイルならではのスピード感に慣れるのが大変でした」と前多。
特に大きな変化だったのが、コミュニケーション方法の転換だ。これまでQA表でやりとりしていたものが、チャットツールのDMで開発者からダイレクトに質問が飛んでくる。「DMが来たらその場ですぐに返答し、即座に要件定義を決めていくという、それまでの流れとは異なるスピード感との戦いがありました」と前多。
また、40名を超える大規模チームの統制にも苦労した。チームは機能別に3つに分割。カードレス会員との接続を担当するチーム、マイナンバーカードの本人確認機能を担当するチーム、画面デザインを担当するチームとした。
2週間のスプリントごとに各チームに進捗報告をしてもらいながら、並行して調整を進めるのが大変でした。(前多)
こうした課題への特効薬はなく、実践を重ねることでしか習得できないものだった。「最初は頼りないオーナーだったと思います」と前多は苦笑するが、2週間スプリントを繰り返すうちに、チーム全体が新しいリズムに適応していったという。
大きな変化を起こすための合意形成の方法
今回のプロジェクトは、リニューアル承認まで約5カ月、開発期間約9カ月を要した。当初、社内では「まったく違うデザインにする」ことへの懸念が大きく、反対意見も少なくなかった。そこで前多はいくつかのアプローチを実践した。
一つ目は、役員への個別アプローチとコンセプトムービーの活用だ。会社に相当な投資をしてもらうことになるため、「こんなことをやりたい」というビジョンを明確に示すことが必要と考え、いきなり会議で提案するのではなく、まずコンセプトを練って、各役員に説明し、意見をもらいながらブラッシュアップを重ねた。
その中で効果を発揮したのが、コンセプトムービーだ。言葉では伝わりにくい新しいUI体験を動画を制作して見せたことで、「役員の心に火をつけることができました」と前多は明かす。最終的に、経営会議では現在とほぼ同等のデザインまで作り込んで承認を得た。
二つ目は、「全員参加型」での早期巻き込みだ。開発プロセスではモックアプリを初期と中期の2回、2,000人以上の社員の社用スマホへ配信。
いきなり最終系を渡されても、現場の社員は受け入れにくいでしょう。初期の頃から隠すことなくデザインや動き方を共有しました。(前多)
特に営業企画部など運用に影響が出る部門には、「キャンペーン時に画像サイズの変更が必要になる」など具体的な影響を早期に伝え、時間をかけて協力してもらった。全員参加型のアプローチで、変革を上からの押し付けではなく、みんなで作り上げることを目指したそうだ。
こうした丁寧なプロセスが組織全体の変革への理解と協力を生み出した。大きな変化を起こすには、トップの理解と現場の納得感を同時に作り上げることがカギになる。
リニューアル後の成果と次なる挑戦
リニューアルから1年以上が経過し、成果は数字にも現れている。MAU(月間アクティブユーザー)は100万人以上増加した。「最初の3~4カ月はなかなか伸びなかったのですが、ある一定の時間を超えてから急に増えるようになりました」と前多は手応えを語る。
今後については「さらに便利なアプリにして、稼働率も上げていきたいですね。イオングループのすべての金融サービスを取り扱っていく存在にしてなっていくでしょう」と決済アプリとしての競争力をさらに高めていく考えだ。
今後の機能拡張計画
アプリの進化は止まらない。2025年7月には、イオン銀行残高が確認できる4枚目のホーム画面を追加。4枚目のホーム画面で、イオン銀行の残高が見られるようになった。
裏側ではDMS(データマネジメントシステム)の活用も進めている。「我々が持つビッグデータと、SaaSのサービスを活用してリアルタイムマーケティングやパーソナライズ化したコンテンツデリバリーなどを実現していく」予定とのこと。パフォーマンス改善も継続しており、爆速化計画が進行中だ。
エンジニアにとって成長機会のある環境
このプロジェクトは、参加したエンジニアにとって貴重な経験となった。デザイン会社や協力ベンダーからも「このウォレット開発チームに入りたい」という声をよく聞いたそうだ。
「大規模開発ならではのスケール感を味わえる環境がエンジニアにとっての大きな魅力。今後もイオングループを母体とした大きな仕掛けを作っていくので、その舞台で開発できる醍醐味があります」と前多は熱を込めて語った。
7年使い続けたアプリをゼロから作り直す。社内初のアジャイル開発に挑戦する。競合をPayアプリ全般に設定する――。イオンウォレットの成功は、「後発だから」を言い訳にしない姿勢が生んだものだった。
イオングループでは一緒に変革に挑んでくれる方を募集中です。
どんなことをしているのか気になる方は、お気軽にご連絡ください。カジュアル面談も実施しておりますので、まずはざっくばらんにお話しましょう!
※掲載している所属・役職・肩書きおよび各種情報は、記事公開時点のものです。
この記事を書いた人
古屋江美子
ライター。1977年山梨県生まれ。大阪大学基礎工学部卒業後、通信会社の情報システム部で、顧客管理システムの運用や開発に従事。その後、ライターとして独立。技術系Webメディアやテック企業のオウンドメディア、システム導入事例、エンジニア採用インタビューなどを中心に執筆している。神奈川県在住。
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