
この記事に登場している人
櫻庭 博文
Hirofumi Sakuraba
イオン株式会社 責任者 ICT推進担当 / イオンアイビス株式会社 取締役 副社長
1992年にイオンクレジットサービス㈱に入社、ITシステム関連の役職を歴任。2011年執行役員、2015年取締役を経て、2019年よりイオン㈱ICT推進担当(現任)、2023年イオンアイビス副社長(現任)。決済システム、顧客データ整備、情報セキュリティに関する多くの経験を持つ。
澤山 幸司
Koji Sawayama
イオン北海道株式会社 商品副本部 グロサリーフィールドマン
新卒で株式会社ダイエー入社。2015年にイオン北海道へ転籍し、2022年より現職。同年春にデジタルハンズオンセミナーに参加、卒業後も他のセミナー参加者と繋がりを持ち、イノベーションにつながる課題解決や業務効率化を模索しています。
中根 澄重
Sumie Nakane
マックスバリュ東海株式会社 第2事業部サポートG 人事担当
2013年コミュニティ社員(パート)として入社。環境社会貢献、秘書広報を経験し、2019年12月より現職。
櫻庭 博文
Hirofumi Sakuraba
イオン株式会社 責任者 ICT推進担当 / イオンアイビス株式会社 取締役 副社長
1992年にイオンクレジットサービス㈱に入社、ITシステム関連の役職を歴任。2011年執行役員、2015年取締役を経て、2019年よりイオン㈱ICT推進担当(現任)、2023年イオンアイビス副社長(現任)。決済システム、顧客データ整備、情報セキュリティに関する多くの経験を持つ。
この記事を読むとわかること
・社員のマインドセット変革と全社的なデジタル活用を加速させる「イオンデジタルアカデミー」の全貌
・受講者が身に付いたと語る「デジタル技術での新人教育」と「問題解決の発想」とは
・イオンデジタルアカデミーの今後の野望は「経営層の意識改革」
イオン北海道にはフィールドマンという職務がある。数店舗を担当し、日々巡回して店舗運営のアドバイスを行う仕事だ。そんな彼・彼女たちが店頭で気になったアイテムを見つけたとき、手に取る小さなスマホアプリがある。スマホでスキャンしたJANコードをすべてリスト化し、指定のメールアドレスに送信できるアプリだ。それまでは手書きでメモをとっていたのだが、このアプリができてから転記漏れや間違いが減って業務がかなり楽になった。このアプリを作ったのはイオン北海道の澤山幸司さん。プログラミング経験のない彼が、業務に役立つ小さな道具を作ることができるようになったのは「イオンデジタルアカデミー」が提供する「プロトタイピング作成トレーニング」という場の存在があった。社員のマインドセットを変革し、全社的なデジタル活用の加速を目指す「イオンデジタルアカデミー」とは。(聞き手・まとめ:プレーンテキスト 鹿野恵子)
【目次】
ツールと課題を結び付ける「プロトタイプ作成トレーニング」
従業員約50万人を抱えるイオングループ。現場の従業員のリテラシー向上を目指して提供する場が「イオンデジタルアカデミー」だ。IT部門、事業部門問わず、様々な最新のデジタル情報に触れることができる。一度に3000人以上が参加するオンラインイベントからポータルサイトでの情報発信、海外視察、社内勉強会等々、さまざまな学習の場やコンテンツが提供されている。

デジタルアカデミーが提供する出色の研修が、実際に参加者が手を動かしてアプリのプロトタイプを作成する「プロトタイプ作成トレーニング」だ。15名程度を集めて実施する完全オンラインの2か月間短期集中講座で、ノーコードツールと身近な課題を結び付け、周囲を巻き込み課題を解決できる人材の育成を目指す。これまでに38社約150名の卒業生を輩出した。
トレーニングでは、1コマ90分の授業で技術に触れたのち、1週間後に課題として業務改善のためのプロダクトなどを提出する濃厚なカリキュラムとなっており、最終的には卒業制作として、1人1つずつ身の回りの課題を解決するプロトタイプを作成する。ツールはMicrosoft Power AppsやGlide、Google Apps Scriptなどが提供される。
「ビジネスをアジャイルに回す感覚を身につけるためにはプロトタイプ作成が効果的だ」と、イオンデジタルアカデミーを立ち上げたイオン株式会社ICT推進担当の櫻庭博文氏は考える。

実運用に供するシステムを開発する場合には、ROIを検討し、稟議ルートを通っている間に要求される仕様が変更されてしまうこともしばしば。しかし実際のビジネスのスピードに追従するためには、コストをかけずに小さなプロトタイプを作ることが重要だ。そしてユーザーのフィードバックを受けてブラッシュアップを繰り返し、精度を増していくことで、環境の変化に追随する。本トレーニングでは、そのような過程を経験し、さらに開発状況をSNSで発信するという経験も積める。さまざまなコミュニティに自ら飛び込み、課題を解決する一連の流れをトータルで体験できる、非エンジニアにとってはまたとない機会といえよう。
もちろん本職のエンジニアのそれと比較すると、初歩の初歩の開発体験にしかすぎないともいえるが、これまで現場で販売の経験のみを積み重ねてきた従業員に対し、課題を解決する技術を身に着けるため、手を動かす機会を提供しているというのは、国内の大手小売業としては画期的な取り組みだ。2021年7月に開講された「プロトタイプ作成トレーニング」第1期の参加者の多くは現場部門のメンバーだった。2期生以降は自薦で参加者を募集したが、1期成の成果発表を見て多くの人が手を挙げた。
櫻庭氏は言う。「小売業に対する理解が深く、課題を把握している現場の人材が、デジタルの知識を得ることができれば、大きな変化が期待できます。エンジニアに対するコミュニケーションも変わるのではないでしょうか。これまではエンジニアに対して『なんとかしてよ』というような、いわば『丸投げ』のコミュニケーションが散見されました。しかしこのような体験を得ることで、ビジネス側と開発者側で建設的な議論ができるようになるだろうと期待しています」。
この動きはイオン本体にとどまらず、さまざまな事業会社が、自社の開発環境に合わせたカスタマイズ版の「プロトタイプ作成トレーニング」の提供をはじめるようになった。イオンリテール、イオン北海道、マックスバリュ東海などが開講。さらに卒業生同志がオンラインでコミュニケーションを取り合いながら、切磋琢磨を続けているという。
卒業制作は、たった一人の新人のためのアプリ(イオン北海道 澤山幸司さん)
冒頭に紹介したアプリを開発したのが、イオン北海道版の「プロトタイプ作成トレーニング」である「デジタルハンズオンセミナー」1期生の澤山幸司さん。イオン北海道で「フィールドマン」を務める中堅のメンバー。普段は道東の7店舗を担当し、売場運営、管理の出来栄えのアドバイスを行う。

澤山さんに、2022年春に約2か月間「デジタルハンズオンセミナー」に参加した感想を聞くと、一言「カルチャーショックだった」という答えが返ってきた。プログラミングやエンジニア文化という、自分がこれまでかかわってきた店舗の現場の業務とは全く異なるアプローチに度肝を抜かれたのだという。研修ではノーコードアプリ制作ツールの「Glide」や、RPAツールの「Power Automate」、機械学習の「Teachable Machine」など、さまざまなツールを体験した。
卒業制作のテーマに澤山さんが選んだのは、その年入社した新入社員の「坂本くん」が少しでも早くひとり立ちできるようにと、ルーチンワークをチェックリスト化したアプリの製作だった。

「作ったプロダクトを多くの人に広げ一定の成果を得る」という本来のセミナーの趣旨にはそぐわないものだったが、「自分が抱えていた新人教育という課題をデジタル技術で解決できたという意味では満足しています。アプリを通じて坂本くんとコミュニケーションをとることもできました」と、澤山さんは満足げに語る。
卒業後も、澤山さんは課題解決のために業務にデジタルを活用するようになった。その一つの例が冒頭に紹介したJANコードスキャンアプリだ。澤山さんがMicrosoft Power Appsで作ったアプリは、小さなツールだが現場の業務にフィットして気が利いていると、現場のメンバーから好評を博している。なおMicrosoft Power Appsは、研修で学んだものではなく、トレーニング終了後に澤山さんが自ら学び、技術を身につけたものとのこと。

澤山さんは言う。「現場の経験、知識を持っている人がこのように便利なデジタルツールを使いこなせられれば、もっと効率化が進み、利益を生み出す仕組みを作り出すことができると思います」。
さらに「研修が終わって、そのまま日常の忙しさに紛れてしまっては意味がない」と考えた澤山さんは、研修終了後も学びを業務に活かしたいと考え、研修の場でだけ認められていたツールを継続して利用できるように会社にかけあったり、オンライン上で卒業生や受講生同志がコミュニケーションをとれるような場を立ち上げている。そもそもこのセミナーを受講した従業員は、部署は違えど業務に対する課題感を抱いているメンバーだ。今後の会社の変革にとってもキーマンとなりうる可能性が高い。現在イオン北海道では早くも3期目が実施されている。ここから企業変革を推進するチームが誕生するのかもしれない。
技術を身につけたことで問題解決の発想ができるように(MV東海 中根澄重さん)
マックスバリュ東海の本部で店舗の労務管理支援に携わる中根澄重さんも、「プロトタイプ作成トレーニング」を受講して大きく変化を遂げたと感じている一人だ。

中根さんは、2021年6月にイオンデジタルアカデミーが主催したイベント「DXラボ」でプロトタイプ作成トレーニングのことを知って興味を持った。2022年の夏に自社で同様の研修が開催されると聞きつけたときには、一も二もなく手を挙げた。それまでITの経験は全くなかったが、好奇心が彼女を突き動かした。
トレーニングでは、LINEのBOT製作や、Glideというノーコード開発ツールでのアプリ作成、Teachable Machineで機械学習のモデルを作成するなど、さまざまなツールに触れた。1週間ごとの課題提出と、講義スケジュールはかなりタイトだったが、見るのも聞くのもはじめてのものばかりで、「大変」というよりも「楽しい」気持ちが上回っていたという。中根さんが卒業制作で作ったのは、「3秒で勤務計画確認できるもん」という勤務計画確認ツール。部内のメンバーのスケジュールを確認する際、PCを立ち上げてスケジューラーを参照しなければならないことが手間だったので、スマホから即参照できるアプリを作成した。何回かのフィードバックなどを経て、無事部門内リリースにこぎつけ、部署のメンバーに便利に使ってもらったという。(現在はGlideのアップデートに伴い運用を終了)

研修終了後もオンライン上に、定期的に勉強会や作業をする場所を用意し、現場での課題をみつけたら、卒業生と引き合わせて課題を解決するようなことも積極的に行う。
「自分たちは1期生ですから、研修終了後にモチベーションを維持し続けるためのお手本となる人もいませんでした。しかしこの小さなともしびを消してはいけないと、活動を続け、せっかくできた横のつながりを維持する方法を模索しました」(中根さん)
しかし彼女が受講後に感じた一番の大きな変化は、「技術」という道具を知ったことで、問題解決の発想ができるようになった点のようだ。
「これまででしたら、業務上の課題に直面しても、“こういうツールがあったらいいのにな…”と思うだけで、具体的に解決することはできませんでした。プロトタイプ作成トレーニングを終了した今であれば、論理的な解決方法を思いつくことができます」(中根さん)
たとえば、車両を運転する従業員複数名に対し、アルコールチェックをしなければならないという業務が発生したときに「ではGoogleフォームを使ってスプレッドシートに入力された結果を、Google Apps Scriptを使ってメールで送ろう」というように、受講前には考えられない解決策を思いつくようになった。
「何よりもこんな良い研修が知られていないのは本当にもったいないことです。一人でも多くの人に知ってもらいたいと考えています。卒業生の人数が増えたら、もっと大きな改革ができるかもしれません」(中根さん)
現状のプロトタイプ作成トレーニングは外部から講師を招いているが、今後その講師を卒業生がつとめられるようにしたいと、中根さんは未来を語る。
3000人ではまだまだ足りない。草の根から全社プロジェクトへ
イオンデジタルアカデミーの取り組みは、まだまだ草の根の活動ではあるが、デジタルツールを業務の課題に結び付け、改善を進めることができるメンバーの数は着々と増えている。
櫻庭氏は、その設立のきっかけが、2019年に行ったグループ企業のべ63社に対するヒヤリングにあったと振り返る。櫻庭氏がホールディングスのITの責任者に任命されたことを機に行った個別面談で彼が直面したのは、あらゆる階層…トップマネジメント、本社社員、店舗従業員、IT担当…それぞれから噴出するデジタルに関する不満や「自分には関係ない」「意見をしても仕方がない」という後ろ向きな意見だ。

新しいデジタルツールが登場しても、触ってみようともしない。「DX」や「デジタルシフト」という言葉は耳にしたことはあるが、具体的にそれが何を意味するのかには興味がない。「これは少しまずいな…と、将来への危機感を覚えました」。櫻庭氏は、その無関心の背景に、業務上デジタルに関する知識やスキルを得る機会がそもそも少ないこともあるが、まず着手すべきは文化の醸成だと考えた。
「何かをやれと上から言われただけでは、マインドの変革に至ることはできません。自ら変わる事に気づくきっかけが必要ではないか」そう考えた櫻庭氏は、当時、同じような問題意識を持ち、個人でSM(スーパーマーケット)事業会社向けに社外講師を招いたウェビナーを開催していたSM担当付の北村氏と組み、2021年6月「イオンDXラボ」というイベントをオンラインで開催する。テーマは「デジタルの民主化」。
今までのイオンが主催する教育プログラムの参加には、所属会社からの推薦や審査が必要とされていたが、このイベントは社長からアルバイトまで、誰でも参加できる体制にして、広く参加を呼び掛けた。1回目の参加者は約3000名。終了後の反応もよく、手ごたえを感じた櫻庭氏らは、これを皮切りに「デジタルアカデミー」は、「気づく場」「学ぶ場」「創る場」という3つの場を設け、グループ従業員のマインドチェンジとスピード感を持ったリスキリングによるスキル向上、そして企業文化の変革へと活動の幅を広げていくことになる。

スタート当初は、「イオン」という社名すら冠しておらず、櫻庭氏が会社からの承認を受けずに立ち上げた、「有志による活動」という位置づけだった。やっと会社公認の存在になることができたと彼が感じたのは、2023年4月にイオングループの経営幹部表彰でデジタルアカデミーが特別賞を受賞した、つい最近のことである。
現在、櫻庭氏が懸念していたデジタルに関する「後ろ向きの文化」「人任せのマインド」から、課題解決のマインドへ、ボトムアップの変革は着実に進んでいるように思われる。そこで、デジタルアカデミーでは、次の段階として、経営層の意識改革に着手したいと計画をしている。イオンのグループ企業は300社以上あり、同じ数だけの経営者が存在している。そのデジタルリテラシーはさまざまだが、企業が真の意味で変革を遂げるためにはトップ層の意識を変えていかねばならない。
そこで今後デジタルアカデミーでは、「商品でもシステムでも、いくつかのプロダクトを短期間に作り上げる、アジャイルビジネスプロセスの伴走支援を、グループ企業に対して提供していく」(櫻庭氏)予定だという。アジャイルビジネスプロセスの支援を行う専門家とタッグを組み、実体験できるプログラムを計画中で、現在参画企業を募っているところだ。草の根の活動は、いつのまにか全社を巻き込む挑戦となった。しかし「いくらDXラボに1回3000名の集客があったとしても、イオングループの50万人以上の従業員からみればごく一部」と櫻庭氏は今後のさらなる広がりを示唆する。
小売業は変化対応業とも言われている。移り気なお客さまのニーズに合わせて、小売業は日々売り方、商品、店舗をアップデートしていかねばならない。そして変化対応を支える小売業のシステムの本質は「機動力」と「柔軟性」にある。江戸時代から続く商家が母体であるイオンにも、当然変化対応の文化は存在していたはずだが、システムが追随できずにいた。今後、ビジネス部門がエンジニアリング文化を理解し、相互認識が進んでいくにつれ、その壁を超えるきっかけが生まれるかもしれない。
ビジネス部門がエンジニアリング部門を理解するために、プロトタイピング経験は最適なアプローチだ。小さなプロトタイプを作り、壊し、直し、高めていく…。現場の従業員による小さなエンジニアリングへの挑戦は、変化対応業である小売業への原点回帰と言えよう。この小さな取り組みが、いつしかイオンの企業文化そのものを変革する原動力となるのではないか。
イオングループでは一緒に変革に挑んでくれる方を募集中です。
どんなことをしているのか気になる方は、お気軽にご連絡ください。カジュアル面談も実施しておりますので、まずはざっくばらんにお話しましょう!
※掲載している所属・役職・肩書きおよび各種情報は、記事公開時点のものです。
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