
この記事に登場している人
茂木 聡
Satoshi Mogi
イオンスマートテクノロジー株式会社 リアルタイム経営システムディビジョン ディレクター
1998年ジャスコに入社。大阪エリアの店舗で9年ほど従事。家電売場からはじまりアプライアンスやホームファッション全般を経験。店長を目指していたが2007年に情報システム部へ異動。人事、会計、総務などコーポレート系のシステムを中心にPM・開発・運用を経験。2025年より現職。
この記事を読むとわかること
・イオンが「商品マスター統合」を通じて、小売・流通・メーカー間の“情報の壁”を越える理由
・年間30万人月にも及ぶ業界全体の非効率を、どのようにして解消しようとしているのか
・「ピザ問題」に象徴される、商品情報の分断がもたらす現場の混乱と課題
・グループ300社のデータを統一し、パーソナライズ精度向上や購買力集約を目指すイオンの戦略
・小売DXの“心臓部”を担う「共通言語」づくりに挑む、イオンスマートテクノロジー茂木氏の構想と展望
「メーカー、流通、そして我々小売も、同じ商品を扱っているのに、違う"言語"で会話している。この無駄をなくさない限り、日本の小売に未来はない」──。
今、イオンが日本のサプライチェーン全体を巻き込み、業界の垣根を超えて"共通言語"を作り出す壮大なプロジェクトに挑んでいる。それが、小売のあらゆる業務の根幹をなす「商品マスター」を統合するという取り組みだ。これは単なる一企業のシステム刷新ではなく、メーカー・流通・小売という縦割りの業界構造そのものを変革し、日本の「モノ売り」という労働集約産業を根本から変えるための挑戦といえる。
改革の裏では、立場の異なる人々が膝を突き合わせ、調整を重ねている。イオンがその先に見据える日本の小売の未来とは。この巨大プロジェクトのキーパーソンとなるイオンスマートテクノロジー(AST) ビジネストランスフォーメーションディビジョン ディレクター 茂木聡のインタビューから、商品マスター統合のリアルに迫る。
【目次】
なぜ今、イオンは"共通言語"づくりに挑むのか
商品マスターとは、商品名、価格、JANコード、メーカー名といった1つひとつの商品に関する基本情報を一元管理するためのデータベースである。
これまで、このマスターは多くの企業で自社内に閉じて管理され、主にレジでの価格表示や在庫数の管理といった社内業務のために使われてきた。メーカーも、流通も、小売も、それぞれが独自のマスターを持っており、その内容は管理項目やルールの違いから必ずしも統一されていなかったのだ。
こうした状況は、各業界に深刻な非効率をもたらしている。2025年8月の日本経済新聞では、イオンのほか、味の素やイトーヨーカ堂など製(メーカー)・配(中間流通・卸)・販(小売)の大手約30社が、この問題の解決に向けて動き出したことが報じられた。
記事によれば、メーカーごとに異なる商品情報を小売側が自社フォーマットに合わせて手作業で打ち直す労働量は、政府試算で年間約30万人月にものぼるという。深刻化する労働人口減少を前に、業界全体の効率化は待ったなしの状況だ。
このような大きなうねりのなかでイオンが挑むのは、製・配・販で情報が分断された状態を根本から覆し、社内用のデータベースに過ぎなかった商品マスターをサプライチェーン全体で通じる"共通言語"へと進化させること。イオンとしてはまず、グループ内で統一されたデータベースを2026年8月に稼働させる計画だ。茂木は、この挑戦の意義を次のように語る。
深刻化する労働人口減少への対応はもちろんですが、それだけではありません。お客さま1人ひとりの心に響く商品を最適なタイミングで推奨できるパーソナライズの精度を上げるため。そしてイオングループ300社のバイイングパワーを集約するためでもあります。
これまでは各社が個別に取引先と商談するケースも少なくありませんでしたが、グループ全体で需要を集約できれば、よりよい商品をお値打ちな価格で提供できるようになります。あらゆる改革の前提条件として、この"共通言語"の確立が不可欠なのです。(茂木)

「ピザが何枚売れたか誰も知らない」 商品情報が分断された現場の実態
"共通言語"がない現場は、長年、静かな混乱のなかにあった。イオングループ内では、発注に使う独自コードと、レジで使うJANコードが別で、その変換と二重管理に膨大な手間をかけてきた。商品名や画像、アレルギー表示といった商品情報も、各事業会社がバラバラに登録し、重複作業の温床となっていた。
その結果生じた弊害として、イオングループ内で「ピザ問題」と呼ばれる象徴的なエピソードがある。
あるとき、経営陣から「インストア(店内製造)のピザは、今どれだけ売れているんだ?」と質問が飛んだ。しかし、誰も正確に答えられなかったという。インストア商品は店舗ごとに商品情報を登録していたため、A店では「マルゲリータピザ」、B店では「イタリアンピッツァ」と名称もJANコードもバラバラ。データを正しく抽出できず、統一して集計することができなかったのだ。
商品情報で『ピザ』という名前で検索しても、『ピッツァ』は引っかからないのに、『ピザソース』は含まれてしまう。このように、売れている商品の販売数すら把握できていませんでした。(茂木)

"共通言語"がないという課題は、取引先であるメーカー側にも深刻な非効率を強いている。
当然ながら商品自体は1種類しかありません。しかし、イオンとほかの小売企業では、それぞれが独自のマスターを持っているため、メーカーはイオン用の環境と、ほかの小売企業用の環境、それぞれに対して商品情報を登録しなければなりません。取引価格は違えど、原材料や内容量といった基本的な商品情報は同じはず。それなのに、同じ情報を何度も登録する「1対N」の無駄な作業が発生しているのです。(茂木)
つまりメーカー側は、すべての小売企業に対して、個別にマスター登録をしているような状況となる。茂木は「同じ情報なのだから、共通の場所に一度登録すれば済むはず。この業界全体の非効率が、大きな足枷になっているのです」と説明する。
業界の常識を書き換える、利害調整の最前線
この根深い課題に対し、イオンだけが仕組みを変えても、メーカー側から見ればまた新たな個別ルールが増えたに過ぎず、サプライチェーン全体の非効率は解消されない。問題の解決には、業界の誰もが使えるインフラが不可欠となる。
そのなかでイオンは、自らが旗振り役となって業界全体のルールづくりを主導する。業界のデファクトスタンダードを自らつくり出すことで、長年の課題に終止符を打とうとしているのだ。
当然、そこにはさまざまな利害関係が渦巻く。たとえば、新商品情報の公開タイミングに関するほかの業界との議論は、特に交渉が難航したという。
我々小売側は、競合より1日でも早く情報を入手し、販促計画を立てたい。したがって「3ヵ月前に情報が欲しい」とメーカー側へ要求します。一方、メーカーは、情報公開が早すぎると他社に模倣されるリスクがあるため、「1ヵ月前までは出せない」と抵抗する。まさしく、せめぎ合いです。(茂木)
こうした利害対立を乗り越えるため、イオンは粘り強く交渉を続ける。「商品画像の登録を担うのは、メーカーか小売か」という議論では、ただメーカー側へ「登録してほしい」と要求するのではなく、「登録いただければ、我々小売はその画像を使って販促を強化します。それはメーカー側の売上にもつながりますよね」と、Win-Winの関係を提示し、合意形成を図っていった。
一枚岩ではない巨大組織を動かす、「投資の価値」を問い続ける日々
戦いの舞台は、社外だけではない。イオンという巨大組織を動かすこと自体も、大きな挑戦だ。
イオングループ内には、メーカーとして商品を開発するイオントップバリュ、品質基準の番人である生活品質科学研究所、そして日々商品を販売する300社にのぼる事業会社が存在する。それぞれが持つ開発、品質管理、販売という異なる視点と業務プロセスを尊重しながら、1つの大きな目的に向かって足並みを揃えるのは、決して容易ではない。
特に大きな壁となったのが、各事業会社からの投資承認を得るプロセスだった。「『商品情報を登録するだけでしょう? なぜそんなに莫大な投資が必要なんだ』という声は実際にありました。現場からすれば、管理が緻密になることで業務負荷が増えるという懸念もあります」と茂木は明かす。
その声に対し、茂木らは「これは単なるマスター整備ではありません」と説いて回った。この基盤があって初めてパーソナライズ提案やデータドリブンな経営といった未来が拓けるのだ、と。
このマスターは、レジで値段を引くためだけのデータではなく、マーケティングから経営にまでつながる、イオンのDXの"心臓部"となるもの。その価値を理解してもらうのに、大変なエネルギーを要しました。また、現場に対しては、商品情報の登録という業務負荷が増えるぶん、これまで人が行っていた作業はDXやAIで自動化するという『未来の働き方』とセットで提示し、業務プロセスそのものの変革であると説明しています。(茂木)
データが"共通言語"になった先に、待っている未来
この壮大なプロジェクトが成功した先には、どのような未来が待っているのだろうか。
まず、サプライチェーン全体の劇的な効率化が実現する。商品のサイズや重量といった正確なデータは、トラックの積載率を最大化する。そして需要予測の精度が向上すれば、「『翌日配送』を効率化するのではなく、『そもそも翌日配送をしなくてもよい仕組み』がつくれる」と茂木は言う。余裕を持った配送計画は、流通業界全体の負荷を軽減する一手となり得る。
経営のあり方も変わる。これまで「売価還元法」という、いわばどんぶり勘定で行われてきた在庫評価が、正確な「単品管理」へと移行する。これにより、個々の商品の利益を詳細に可視化し、よりデータドリブンな意思決定が可能になる。
参考:イオンのサプライチェーンを変革するDXチームが新設。8割が店舗経験者で構成される戦略的意図とは
さらに、統一された商品マスターは、ほかのテクノロジーと結びつくことで、これまで想像もしなかった価値を生み出す可能性を秘めている。その1つが、グローバルで主流となりつつあるQRコードの活用だ。
QRコードには、現在のバーコードよりもはるかに多くの情報を格納できます。たとえば賞味期限のデータが含まれれば、従業員が目で見て確認していた作業を、棚のカメラが自動で読み取り、警告してくれるようになるかもしれません。これは商品マスターが統一されているからこそ議論できる、未来の姿です。(茂木)
茂木が見据えるのは、こうした効率化の先にある、より本質的な価値創造だ。
我々が持つ販売実績データをメーカー側にフィードバックすれば、彼らの商品開発やマーケティングに活かしてもらえます。小売が情報を独占するのではなく、共有することで、業界全体でより良い商品を、より効率的にお客さまに届けられるようになります。(茂木)
顧客体験そのものを豊かにすることも可能になる。QRコードに動画やトレーサビリティ情報を盛り込めば、顧客はスマートフォンをかざすだけで、商品の生産背景やおすすめのレシピを知ることができるようになるかもしれない。この"共通言語"は、新たなビジネスの可能性をも広げるのだ。
イオンが変われば、日本が変わる
「日本の小売が変われば、世の中の人々の生活が変わる」——。茂木は、このプロジェクトの先に、そんな未来を描いている。それは役割や組織の枠を超え、クロスファンクショナルに価値を創造していく、日本発の新しいモデルへの挑戦でもある。
この壮大なビジョンを支えるのは、茂木自身の個人的な原体験だ。
入社した頃、親戚に「お前、商人になるのか」と、少し見下したニュアンスで言われたことがありました。その悔しさが、ずっと心のどこかにあったんです。日本の小売業は、素晴らしい仕事であるにもかかわらず、どこか労働集約的で大変な仕事というイメージが根付いてしまっている。私は、この業界のあり方そのものを変えたい。次の世代が「小売業で働きたい」と、胸を張って言えるような業界にしたいんです。(茂木)
もちろん、その道のりは平坦ではない。答えがないなかで巨大なプロジェクトを進めるプレッシャーは計り知れない。「業界から『イオンさんが決めてください』と言われることも多く、その決断の重みは日々感じています」と茂木は言う。
しかし、その表情に悲壮感はない。
裏を返せば、それだけ誰もやっていないことにチャレンジさせてもらえている。イオンには、失敗を恐れずに挑戦できる風土があります。このプロジェクトを通じて、業界のさまざまな人と出会い、新しいアイデアが生まれる瞬間は、本当にワクワクします。(茂木)
今、やっとその入り口に立てた──。茂木の視線は、目の前の困難の、さらにその先にある日本の小売の未来を、確かに捉えていた。

イオングループでは一緒に変革に挑んでくれる方を募集中です。
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※掲載している所属・役職・肩書きおよび各種情報は、記事公開時点のものです。
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